13歳で初アメリカ、スノーボードの聖地”MT.HOOD”
2016.08.03
今日は僕が初めて行ったアメリカの話を書きたいと思います。
1997年僕は中学2年生の夏、 スノーボードを持って初めて海外旅行に行きました。
当時はネットなんてものはなく,情報はすべて雑誌というのがほとんどでした。
専門誌で見つけたスノーボードの聖地 ” MT.HOOD ” スノーボードツアー参加。
実は小心者なので、今の自分ではよく行ったなぁ~と思います。w
その頃はまだ携帯電話なんて誰も持ってなく、周りの大人はみんなポケベルだったような気がします。
そんな中初めての海外旅行に行くので親はけっこう心配していました。
まずは千歳空港から成田空港まで行って、東京の大学に行っていた兄が心配で成田空港まで駆けつけてくれて
国際線のチェックインは無事に終了。
成田から同伴の添乗員はいなく現地合流でしたが、、、
雑誌で見ていた聖地に行けるという思いが強すぎて当時の僕には何の不安もありませんでした。w
ちょうど飛行機で隣になったお兄ちゃんっぽい人が同じキャンプの参加者だったため、スムーズに事が進んでラッキー!!
しかもオーバーブッキングでその人と僕はいきなりのビジネスクラス!!!
まだ現地についていないのに、いきなりアメリカ最高!って気分になってました。
無事にアメリカオレゴン州ポートランド空港に到着し、荷物を取りにいったところで
今回参加するキャンプ、ティムウィンデルスの日本人スタッフと合流。
不安はなかったけどひとまず安心!w
向こうも中学生が来るということで、心配してくれていたみたいです。
空港でみんなと合流するまで実際何人くらいの人が同じキャンプに参加するのかあんまり分かっていませんでしたが
けっこうな参加者がいました。
同じようにアメリカや海外から来るキャンパーたちもいて荷物が出てくる場所はかなりのボーダーとボードケースでいっぱい。。
そしてここから宿までの移動の車を見てまたアメリカを感じました。
黄色いバス!
バスの天井に上がリ荷物をのせまくる!
そして通り過ぎる時に喋っちゃ行けない、喋ると怪我をするといわれているサイレントロックを通る。
何もかもが衝撃過ぎて、今でもしっかりと覚えています。
(けっこう物忘れとかひどいほうなんですが、、)
そして宿はいまでも営業しているはずのハックルベリー!!
(一度でもいったことある人は思い出の場所になっていると思います)
さっそく部屋につくと、前のセッションからいた人やほかのスタッフがいたりして空いてるとこに案内されましたが
部屋は2段ベットがズラリとあり、みんな金髪や茶髪のやんちゃな兄ちゃんばっかり。
これからここで2週間、考えただけで楽しいですよね?w
とりあえず明日滑るための準備をし、時差ぼけをくらって初日は早めの撃沈だったような、、
次の日の朝、ランチのサンドウィッチを持って、いよいよ山に!
もちろん黄色いスクールバスの上に板を載せて!!
まず山に到着して、チケットシステムにビックリ。
もうなんでもビックリしてますが、今じゃ古いくらいかな?
シール型のチケットを針金みたいなものをベルトループに通して貼る。
というような当時の日本にはなかったようなアメリカらしいシステム。
そして、7月終わりなのに、こんなに雪とパークがあるなんて!
しかもクレパスもある!!
本当に滑る前から衝撃だらけでした。。。
パークに行くと、ディガーと呼ばれる人たちがきれいに整備した最高なパイプとデカいジャンプ!! がいっぱいあり、
そこで有名ライダーが普通に滑っている。
そんな中ボード歴2年目の中学2年生の自分。
何でも吸収しまくりです。
まあエアターンしか出来なかったくらいですが、メソッドかっこ良くやりたい!とか、
あんなデカいジャンプ飛んだことないけど、飛びたいとか。
トライしたら成長するみたいな環境で、しかも楽しい気持ちしかないんです。
それはもう、、伸びしろですね~!ですよね。w
そんな中すぐ一日が終わって行くことに寂しい気持ちになりながらも毎日全力で滑り、宿に帰ってもみんなに
かわいがってもらい遊んで夜更かししたり。
オフの日にはモールと呼ばれるでっかいデパートに行くよって言われてそこでもビックリ。
なんだここは? 今では日本でも当たり前にあるイオンみたいなモールが当時からアメリカにはありました!!
そこにあるスケートショップでvolcomのtシャツを買いまくり。。。
当時はたしかtシャツが18ドル位で売っていました。
レートはたしか1ドル88円くらいだったかな。
なのでvolcomのtシャツ一枚買うのに、2000円しないんです!!
これにも驚きました、多分10枚以上買いました。
スノーボードの板も買いましたw
burtonのspecial 400ドルきっていたと思います。
そんな衝撃を受けながらあっという間にセッションの1週間が過ぎ、次のセッションまでの中日(3日間)は山に行かず、
スタッフもキャンパーもみんなゆっくりで3日間を過しました。
このセッションで日本に戻る人たちを見送り、一日は完全にゆっくり。
そして3日後に新しいキャンパーたちがきます。
セッションの間、中日をまたぎ、すっかり常連気分の自分とお兄ちゃんたち。w
中には大金使って全セッション参加としている人、何年も前から参加している人たちもいて、そういった人たちとは
この中日でさらに仲良くなることが出来ました。
大体6月中旬から8月上旬までありますが、僕の場合2セッション参加で飛行機,宿、3食(外食は別)もすべて込みで
45万円くらいしたような、、、
そんな中日の夜、たまたまハックルベリーのレストランにお兄ちゃんたちと名物であるシェイクを買いに行くと、中学校の同級生、
僕がボードを始めたきっかけになった大親友”佐藤晃洋”に遭遇!!
彼も楽しそうで、やんちゃな兄ちゃんたちと来ていました。w
実は最初、彼と一緒にMT HOOD行こうと話していたんですが、彼はハイカスケードに行くことに決め、僕は少し安くて
広告写真がかっこ良く見えたティムキャンプにしようと思い(多分)、バラバラで行くことになったんです。
今も昔もメチャクチャ仲が良いですが、当時はそんな理由でバラバラで同じ場所に行き、見えてないところでお互いめっちゃ上手くなり、
冬合った時ビックリさせようと考えていたと思います。w
親友にも会い、初海外で全くホームシックにはかからず、持ってきた教科書も一回も触れずに
(来た初日にやんちゃなお兄ちゃんたちに見せたときに一回出しただけ)
次のセッションも毎日滑り、帰って来たらアクティビティに行き、(買い物、スケート、バーベキュー、、、)
どんどん帰る日が迫っていて寂しい気持ちにもなっていました。
そういえばその時に持っていった”写るんです”使い捨てカメラで撮った写真が奇跡的に残っていました!!
こんな感じで写真を見てるとその頃の気持ちがよみがえってきます。
もう20年以上前ですが、、w
そんなこんなでついに最終日の前日。
その日は滑り終わって宿に戻ってきて、寂しい気持ちでパッキングしてから、みんなで夜更かし。
ほぼ寝ないで,朝早く帰ったような気がします。
寝ると楽しい日々が終わっちゃうような気がしていたのかなと。。
その頃はまだ純粋な中学校2年生でしたから。w
そんな感じで僕の人生を変えたといっても過言ではない,初のアメリカスノーボードトリップは終了。
次の年も必ずフッドに行く決意を帰る前にしていた12歳の夏休み。
(この後も毎年行き27歳くらいまでは毎年行っていました。)
かな〜り長くなりましたが、、、
非常に良い経験が出来たと今でも思っています。
その頃に比べると、今の日本スノーボードの環境はとても良くなりましたが、
やはりスノーボードの本場アメリカの聖地のマウントフッドには、日本では決し味わうことが出来ないリアルスノーボード、
そこでしか味わえないいろいろなものがあると思います。
なので今の若い子もフッドに行って、何かを感じるのも良いんじゃないかなぁと思ったのでこのブログを僕の
体験話を書かせて頂きました。
当時の自分
(子どもが生まれてからは海外にあまり行かなくなりましたが、いつか子どもと行ってみたいと思う場所でもあります。)
今回も長文におつきあい頂きありがとうございました。